最初は、ただ便利だと思っただけでした。
分からないことを聞いたら、すぐ答えてくれる。
しかも優しくて、怒らなくて、何回聞いても嫌な顔をしない。
「これ、すごいなあ」
そのくらいの気持ちで触り始めたのが、ChatGPTでした。
AIに助けられているはずなのに、なぜか自分を観察している感覚
エラーが出た。
サーバーに置いたPHPが動かなかったときの、あの意味不明なエラー。
意味は分からない。
とりあえずAIにそのまま貼る。
返ってきた答えをコピペして、また試す。
またエラーが出る。
そのやり取りを何度か繰り返しているうちに、
「あれ、私いま何やってるんだろう」
と思いました。
解決しようとしているはずなのに、
だんだん「自分の動き」のほうが気になってくる。
分からない → 聞く → 試す → また分からない。
この繰り返しを、横から見ているような感覚でした。
うまくいかないことを、AIと一緒にやってみる
私は計画性がないので、とりあえずやってみることが多いです。
データを保存するためのPHPファイルをサーバーに置いてみたり、
なぜか保存できるようになったり、
あとから「セキュリティ甘いですよ」と言われて青ざめたり。
問い合わせフォームがどこにも届かなかった話も、
PHPで保存できるようになった話も、
その全部にAIがいました。
でも不思議なのは、
「AIと一緒にやっている」のに、
あとから振り返ると
「人間が右往左往している記録」
にしか見えないことでした。
AIが先生みたいに話すのに、私は全然分かっていない
以前書いた「PHPで保存できるようになった話」の記事を見返すと、
こんな文章があります。
初心者はここでつまずきます。
いや、私がつまずいてるんだけど。
ちょっと申し訳ない気持ちになりながら読んでいました。
AIが整えてくれた文章は、とても分かりやすい。
でもその文章の中の私は、なんだか先生みたい。
実際の私は、全然そんなこと思っていないのに。
気づいたら「人間の動き」のほうが気になっていた
AIが賢いかどうかよりも、
私はなぜここで止まったのか
なぜここで焦ったのか
なぜここで理解できなかったのか
そっちのほうが、ずっと気になっていました。
AIとの会話なのに、
観察しているのはいつも「自分の反応」。
AIとの会話なのに、なぜか人間の記録になっている
便利だなあと思って使い始めたAIですが、
気づけば私は
「AIのこと」ではなく
「AIを使っている人間のこと」
を書いていました。
AIに助けられながら、
AIを通して、人間の動きを見ている。
そんなブログになっていました。
AIは覚えている、と思ったけれど。
あるとき、私は言われました。
あなたは「説明しすぎると世界観が壊れる」と思っている。
そんなこと言ったっけ?と思いました。
記憶になかったんです。
でもやり取りを振り返ると、
確かに近いことは言っている。
私は、
体験はそのまま置きたい
とは、何度か言っていました。
AIは、それを私っぽく要約してきた。
少しズレているけど、でも本質は近い。
そのズレが、なんだか面白かった。
AIは覚えているというより、
私の言葉から、私らしさを作ってくる感じがしました。
たぶん私はこれからも、
分からないことをAIに聞いて、
分からないまま試して、
分からないなりに進んでいくと思います。
そしてその記録はきっとまた、
AIの話ではなく、
「人間の体験」の話になっていく。
ただやったら、こうだった。
そこに人間を添えただけの、ブログの話です。



コメント